岩坂彰の部屋

第19回 機能主義的翻訳理論

岩坂彰

突然パソコンの動作がおかしくなり、どこをクリックしても意図しない範囲が選択され、とりあえず再起動をかけると今度はログインパスワードが違うと 言ってくる。なんとか指紋認証でログインするものの、画面が滅茶苦茶。あと数時間で納品しなければいけない仕事があるので、とりあえず代替機を引っ張り出 して、あまり快適とは言い難い環境でなんとか仕事をこなす。メインのマシンはもう3年使っているし、最近、異音がしているからそろそろ限界かなあ。しかし このところVistaの更新がやたら頻繁で、そのたびにマシンが不安定になるのは、ひょっとして早くWindows 7に乗り換えろという暗黙の圧力か? そうこうするうちに、代替のサブマシンもおかしな動作をはじめ、ついにこちらもログインできなくなってしまう。違う マシンで同じ症状? ひょっとしてウイルスか? どんよりとした気分でふと見ると、元のマシンにも代替マシンにもつなぎ替えて使っていた外付けのキーボー ドの左のシフトキーが下がったままになっているではないか! 何かがひっかかっている。原因はこれだったのだ。パスワードが大文字入力になってしまってい たのだ……orz

そんな事件がありまして、数日のあいだ、余計な作業に時間を取られました。こういうときのためにいちおう代替機(古いマシン)は用意してあるのです が、そのセキュリティソフトまでは手が回らず、とりあえずアンチウイルスソフトの移行作業をして、あとで新しいライセンスを購入したりと、余計な出費も強 いられます。余計な、というか、パソコンを使って仕事をしている以上、年に一回くらいはこういうことがあるものです。「筆一本」で済むはずの翻訳にだっ て、それなりに経費はかかるということをご理解いただけると幸いです(クライアントのみなさまへ)。

20世紀の翻訳理論

『翻訳行為と異文化間コミュニケーション』
理論だけでなく、コレット・ダウリングの『シンデレラ・コンプレックス』の二つの訳、グリム童話、村上春樹の『ノルウェーの森』と吉本ばななの『キッチン』の英・独訳、映画の字幕と吹き替えの翻訳など、具体例を取り上げながら、翻訳の機能主義を考察している。

もう2年前になりますが、このコラムの連載第2回目で、 翻訳の判断基準となる「著者の意図」と「読者の立場」ということを書きました。翻訳に際しては、著者の意図と読者の立場の双方を勘案して、そのつど目的に 即した「プリズムの置き方」をするという話です。当時は自分の経験に基づいてこうしたことをつらつらと考えているだけでしたが、その後、このような考え方 は「機能主義的翻訳理論」と呼ばれるものだと知りました。今回は、この種の翻訳理論を考察している『翻訳行為と異文化間コミュニケーション――機能主義的 翻訳理論の諸相』(藤濤文子、松籟社、2007)という本を紹介します。

本書の著者によると、20世紀の後半に、翻訳理論を取り巻く情勢は「原文志向」から「訳文志向」へと、つまり「等価志向」から「機能志向」へと大き く変化してきたといいます。「翻訳の捉え方が、言語のコード変換から異文化間コミュニケーションへとシフトしてきた」とも述べられています。これは私自身 の過去30年の実感とも合致します。

原文志向、等価志向とはどういうことか、説明の要はないかと思いますが、つまりは「原文通りに(原文に等しく)訳す」ということです。しかし、ひとくちに等価といっても、「何が等しければよいか」についてはいろいろな立場があります。ユージーン・A・ナイダ[注1]は、 「形式的等価」(formal equivalence)と「動的等価」(dynamic equivalence)という概念を立てました。形式的等価というのは、語順や文法などの形式を等しくする、いわゆる逐語訳のこと。動的等価は、形式の 等価を犠牲にしても、テクストが読者に対して果たす機能(例えば意味の伝達)を等しくしようとする立場で、機能的等価とも言います。ナイダは動的等価を重 視する立場を主張しました。

機能的等価主義の一例として、『翻訳行為……』では、カタリーナ・ライス[注2]の 「テクストタイプ別翻訳理論」が紹介されます。ライスは、テクストの種類によって、言語記号の3つの機能(対象の叙述、送り手による表出、受け手に対する 訴え)のうちどれが重要になるかが違ってくると主張しました。ニュースや学術書のような「情報型」のテクストでは叙述機能が優勢であり、伝達内容の等価が 要求されます。文学的「表現型」では表出機能が優勢で、芸術表現の等価が求められ、宣伝文のような「効力型」では、訴え機能が優勢で、訴え効果の等価が求 められる、というわけです。これは翻訳の現場にいる者にとって説得力のある考え方ですが、あくまで等価志向の範疇にあります。『翻訳行為……』の著者は、 ここからさらに機能志向へと向かう流れの代表例として、ハンス・フェアメーア[注3]の機能主義的翻訳理論「スコポス理論」を挙げます。

スコポス理論

スコポスというのはギリシア語で「目的」という意味です。フェアメーアは、翻訳行為で最も重要なことは「翻訳の目的」だと考えているわけです。フェアメーアの一般翻訳理論の規則を、以下に引用します。

規則1 スコポスルール
 翻訳というコミュニケーション行為は、目的(スコポス)により決まり、目的の関数となる。
 コミュニケーション行為は相手との関係に依存するものであり、受容者は目的に含まれる要素である。
 下位規則として、目的は受容者に依存する。
規則2 結束性ルール[注4]
 目標テクスト[翻訳先言語テクスト]が受容者の状況において十分に意味をなし、解釈可能であれば、その翻訳は成功したと言える。
規則3 忠実性ルール
 翻訳は起点テクスト[翻訳元言語テクスト]と関連する訳出を目指す。

なんだか分かりにくい定式化ですが、これはフェアメーアの理論を学術的なスコポスをもって訳出したものでしょうから、私なりに本コラム読者向けに機 能の変更を試みてみますと、「翻訳は原文よりも目的に左右され、読み手がその目的に即して了解すればオッケーだ」ということになるかと思います。

現在の翻訳に対する私の考え方は、これに近いです。この考え方を採ると、翻訳書の出版に際して翻訳者ないし出版者(編集者)が持っているべき出版意図というものが、非常に重要になってきます。意図を意識することなしには、一文だって翻訳できないというくらいのものです。

注意しなければいけないのは、「機能志向」は必ずしも「分かりやすい訳文」を意味するものではないということです。目的によっては、逐語的な翻訳が 機能することだってありえます。たとえば史料となるような原典では、著者が「どのように書いたか」を伝えることも目的のうちに入ってくるため、形式的等価 を考慮すべき場面も出てきます。実際私もそのような翻訳に携わったことがあります。

あるいは、高校や大学で行われるいわゆる「英文和訳」も、ふつうは「翻訳ではない」と言われますが、生徒の側の理解を教師側に伝えるという目的に重 点を置いた翻訳であると考えることもできます。ならば、その目的に即した評価というものもまた可能になってきます。このように、擬似翻訳的なものまで一つ のパースペクティブの下で考察できる機能主義的な見方というのは、たしかに有用なものだと思います。

翻訳分析法

「初めに言葉があった」と書いてある。
もうここでつまずいてしまうではないか。誰か力になってくれないか。
言葉というのは、どうも感心できない。
他の訳をせねばなるまい
精神が私を照らす光が正しいとしたら。
初めに意味があった、と書いてあるのだ。
最初の行はよく考えることだ
おまえの筆が滑らないようにな。
果たして意味は、すべてを為し、すべてを創造するものだろうか。
初めにがあった、とすべきだった。
だがそう書き下ろしているうちにも
もう、それではだめだと諫める声が聞こえる。
精神よ、助けてくれ。またひとつ、私は答えを見つける。
そして気を取り直して書きつける。初めに行いがあった。
          ゲーテ『ファウスト』1224-1237行(岩坂試訳)[注5]

『翻訳行為……』で面白かったのは、ゲーテの『ファウスト』の中でファウスト博士がある翻訳の訳語に悩む場 面を、翻訳理論史と重ね合わせている部分です。第一部「書斎」で、ファウストはギリシア語の新約聖書をドイツ語に翻訳しようと思い立ちます。「ヨハネによ る福音書」の冒頭、「初めに言葉があった」の「言葉」に相当するギリシア語ロゴス(λόγος)の訳語を、ファウストは、最初の「言葉」(Wort)か ら、「意味」(Sinn)、「力」(Kraft)、「行為」(Tat)へと、次々と変えていくのです。これを翻訳理論史と重ねて見ると、まず「言葉」から 「意味」へは、ヒエロニムスがキケロから学んだという「語を語で置き換えるのではなく、意味を対応させて表現する」という方法、「力」はナイダの動的等価 理論やライスのテクストタイプ別翻訳理論に相当し、最後の「行為」が、翻訳を目的ある行為と捉えるスコポス理論を想起させるというわけです。

なにやら哲学的な話になっていますが、著者はもう少し現実的で、機能主義的翻訳理論を応用することで翻訳の評価分析が可能になると言い、目的性、結 束性、忠実性をそれぞれABC評価するという方法を提案しています。また、翻訳技法の分類については、先行研究に基づいて、原文への忠実性が高い順に、以 下のようにまとめられています。

翻訳理論に関する本をもう一冊紹介します。『翻訳の原理』(平子義雄、大修館書店、1999)。巻末に歴史上の翻訳理論がコンパクトにまとめられています。
1 移植起点 テクストの綴りをそのまま導入する。
2 音訳起点 
テクストの音声面を導入する。
3 借用翻訳 
語の構成要素の意味を訳す。
4 逐語訳
一語一語を対応させて訳す。
5 パラフレーズ
同じ内容を別の表現に言い換える。
6 適応 
目標文化に合わせて調整・変更する。
7 省略
起点テクストの要素を全く削除する。
8 加筆
起点テクストに含まれていない要素を加える。
9 解説
注などによりメタ言語的に解説する。

最後の解説(注記)というのは、それ自体は原文にないのでいちばん下に置かれていますが、これは本文の忠実性(形式的等価性)を高め、なおかつ結束 性(読者の理解)を維持する方法ということになります。同様に、省略や加筆といったやり方にも「正当な翻訳の手法」としての居場所が与えられています。

以上、ものすごく主観的に『翻訳行為……』を紹介してみました。翻訳理論などというものは翻訳者の養成にはあまり役に立たないというのが私の実感で すが、こうして翻訳という行為を客観的に眺める視点がもう少し出版業界で一般化すれば、状況は少しは変わるのではないかなと、期待を込めて。

追記:本稿の掲載直後に、翻訳の等価性や目的といった考え方に焦 点を当てた『翻訳理論の探究』(アンソニー・ピム、武田珂代子訳、 みすず書房)という本が出ました。同じくみすず書房の『翻訳学入 門』(ジェレミー・マンデイ、鳥飼玖美子監訳)と合わせて紹介し ておきます。

(初出 サン・フレア アカデミー WEBマガジン出版翻訳 2010年2月8日 第4巻143号)